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広島地方裁判所 昭和62年(ワ)158号 判決

原告 井上キミ子

右訴訟代理人弁護士 舩木孝和

被告 小林瑞穂

右訴訟代理人弁護士 倉田治

同 田中千秋

主文

一  被告は、原告に対し、金二二五七万一八六二円及びこれに対する昭和六二年二月一八日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その三を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、六〇〇〇万円及びこれに対する昭和六二年二月一八日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言(第一項につき)

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生(次の交通事故を以下、「本件事故」という)

(一) 日時 昭和五八年六月二日午後五時二〇分頃

(二) 場所 広島市安芸区矢野町五三三五番地平田整形外科病院前路上(国道三一号線。以下「本件事故現場」という)

(三) 加害車両 普通乗用自動車(以下「甲車」という)

右運転者 被告

(四) 被害車両 原動機付自転車(以下、「原付」という)

右運転者亡春山照武(以下、「亡照武」という)

(五) 態様 被告は、甲車を運転し、本件事故現場付近道路を海田町方面から呉市方面に向け進行中、進行方向右側路外の空き地に出るため右折した際、反対方向から対向車線を直進してきた亡照武運転の原付に甲車を衝突させた。

2  亡照武の受傷、自殺等

(一) 傷害

亡照武は、本件事故により、脳挫傷、頭部外傷陥没骨折、外傷性頸髄症、四肢不全麻痺等の傷害を負った。

(二) 治療経過

亡照武は、昭和五八年六月二日より昭和五九年八月二五日まで入院を続け、その間、松石整形外科病院、県立広島病院、マッターホルン整形外科病院、平松整形外科病院と入院先を転々とした。その後、同月二六日より昭和六〇年八月二八日まで平松整形外科病院に通院し、同月二九日より同年九月一四日まで同病院に再度入院し、同月一五日より同年一〇月九日までは同病院に通院して治療を受けた。

(三) 後遺症

亡照武には、頸椎運動障害、言語障害、目のかすみ、書字不能等の後遺症が残存し、右症状は、昭和六〇年一〇月九日に固定した。

なお、右後遺症は、自賠法施行令二条別表後遺障害等級(以下、「後遺障害等級」という)三級に該当する。

(四) 自殺

亡照武は、前記後遺症が残り、就労できるような状況になく、症状回復の見込みもないことから将来に絶望し、加えて、被告の代理人である保険会社からは右症状を無視した極めて低い金額で示談するよう強要され、更に追い詰められた状況下で生きる望みをなくし、昭和六〇年一〇月二二日、首をつって自殺するに至ったところ、本件事故と右自殺との間には相当因果関係がある。

3  責任原因

被告は、甲車を運転し、進行方向右側路外の空き地に出るため右折するに際し、対向車線を進行している普通乗用自動車のみに気を取られ、対向車両の有無を十分確認することを怠り、右普通乗用自動車の前方を時速約三〇キロメートルで進行していた亡照武運転の原付に気が付かないで漫然右折を開始した過失により、本件事故を発生させた(民法七〇九条)。

4  損害

(一) 亡照武の損害と原告の相続

(1) 入院雑費 四七万七〇〇〇円

入院一日当たり一〇〇〇円として算出した。

(2) 通院交通費 三二万四〇〇〇円

亡照武は、昭和六〇年一〇月二二日に自殺するまでの間、広島市民病院に八日、県立広島病院に一日、平松整形外科病院に九九日それぞれ亡照武の市内戸坂の自宅からタクシーで通院し、通院一日当たり往復のタクシー料金として三〇〇〇円を下らない出費を要した。

(3) 逸失利益 六六二四万九二二三円

(昭和五八年の男子労働者平均年収額) 三〇六万一〇〇〇円

(労働能力喪失率) 一〇〇パーセント

(労働可能年数) 四〇年間

(新ホフマン係数) 二一・六四三

3,061,000×21.643=66,249,223

なお、本件事故と亡照武の自殺との間に相当因果関係がなかったとしても、本件事故による損害は不法行為時に発生し、労働能力喪失による損害(逸失利益)が確定するのは症状固定時であるから、亡照武の自殺による死亡という事実は、逸失利益を算定する上で斟酌するべきではない。ところで、事故と自殺との間に相当因果関係を認めながら、損害の公平な分担の見地から過失相殺の法理を類推適用して損害額を減額する見解があるが、右見解によれば、後遺症の症状固定後に自殺した場合の損害額が症状固定時に確定した損害額を下回ることになって不当であるし、本件の場合被告の代理人である保険会社の非人道的な示談強要が自殺の一因となっていることを考慮すると、損害の公平な分担の見地からも、過失相殺の法理を類推適用する余地はなく、逸失利益の算定上生活費控除もするべきではない(生活費を控除するのであれば、右控除による減額分相当額を慰謝料に加算するべきである)。仮に、本件事故と亡照武の自殺との因果関係を割合的に認定する場合には、その割合に応じて同様に考えるべきである。

(4) 亡照武の慰謝料

(イ) 入通院慰謝料 三〇〇万円

(ロ) 死亡慰謝料 二五〇〇万円

後遺症分一五〇〇万円を含む。

(5) 原告の相続

原告は、亡照武の母親であり、唯一の相続人である。

(二) 原告固有の慰謝料 一〇〇〇万円

原告の息子である亡照武が後遺障害等級三級に該当する重傷を負ったこと及び自殺に追い込まれたことに対する近親者としての固有の慰謝料である。

(三) 以上合計 一億〇五〇五万〇二二三円

5  損害填補 五一四万二一二〇円

原告は、本件事故による損害の填補として、被告代理人の保険会社より五一四万二一二〇円の支払を受けた。

6  弁護士費用 五〇〇万円

原告は、本件訴訟を弁護士である原告代理人に委任し、手数料及び報酬として右金額を支払う旨約した。

7  よって、原告は、被告に対し、損害賠償金合計一億〇四九〇万八一〇三円の内金六〇〇〇万円及びこれに対する不法行為後の昭和六二年二月一八日から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1は認める。

2  同2(一)、(二)は知らない。

同2(三)のうち、症状の点は知らないし、後遺症が後遺障害等級三級に該当するとの点は否認する。なお、亡照武は、自賠責広島調査事務所において、後遺障害等級一二級一二号に該当するとの認定を受けた。仮に、亡照武に原告主張にかかる症状が存在したとしても、自覚症状にすぎず、これといった他覚的所見がない。亡照武の右自覚症状は、性格に基づく精神的なものであって、本件事故による受傷の後遺症とはいえず、本件事故との間に相当因果関係がない。

同2(四)のうち、亡照武が昭和六〇年一〇月二二日に自殺したことは認めるが、その余は否認する。本件事故と亡照武の自殺との間には相当因果関係がない。

3  同3のうち、被告が甲車を運転し、進行方向右側路外の空き地に出るため右折するに際し、対向車両の有無を十分確認せずに進行した過失があることは認める。

4  同4のうち、(一)(5)は知らないし、その余は否認する。

なお、仮に本件事故と亡照武の自殺との間に相当因果関係が認められるとしても、自殺はあくまでも自殺者である亡照武の自由意思に基づくものであって、それによる損害をすべて被告に負担させるのは公平を欠くものであるから、民法七二二条の過失相殺の法理を類推適用して被告の負担する損害額を減額するべきである。

5  同5は認める。

6  同6は否認する。

三  抗弁

1  過失相殺

亡照武は、本件事故当時原付を運転中、後方ばかりに気を取られ、前方注視を怠って漫然進行した過失により、右折してきた甲車を見落とした。

したがって、亡照武にも三〇パーセントの過失があるというべきであるから、損害額につき右の限度で過失相殺するべきである。

2  損害填補(過払分の減額)

(一) 被告代理人の保険会社は、亡照武の治療費三九七万五八七〇円を支払った。

(二) 本来右治療費も含めた全損害につき過失相殺されるべきところ、右金額に対する亡照武の過失割合分は、治療費として過払されたことになるから、右過払額を損害の填補として減額するべきである。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1は否認する。

2  同2(一)は認め、(二)は否認する。

第三証拠《省略》

理由

一  事故の発生

請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二  亡照武の受傷、自殺等

1  《証拠省略》によれば、次の事実を認めることができ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  亡照武は、昭和五八年六月二日、本件事故により頭部及び右半身を強く打ち、意識不明の状態で松石整形外科病院に担ぎ込まれ、脳挫傷、意識障害、右半身打撲症と診断され、同日から同月二一日まで入院治療を受けた(二〇日間)。

原告は、事故後連絡を受けて、直ちに松石整形外科病院に駆けつけたところ、亡照武の意識は回復しており、多少会話もできる状態であり、訴外松石頼昭医師(以下、「松石医師」という)から、亡照武の頭蓋骨が陥没骨折しているが、心配はない旨説明を受けた。

ところが、事故後二、三日した頃から、亡照武は、口から泡状のものを吐き、意識を失う状態が見られ、その後も意識を失ったり、異常に脂汗をかいたりするなど不安定な容態が続き、更には手指を思うように動かせなくなったり、思いどおりに言葉を話せないようになったりするなどの症状も現れてきたが、あまり症状が好転しないままに、松石医師から勧められて退院し、同病院に通院することとなった(通院実日数一日間)。

(二)  亡照武は、右退院の翌日、通院のためバス停から松石整形外科病院に向かう道を歩行中、突然意識を失って倒れるということがあったため、松石医師に不信感を抱き、頭部の精密な検査と治療を希望し、県立広島病院脳神経外科に昭和五八年六月二七日から同年七月一日まで入院した(五日間)。

県立広島病院において、血液・尿検査、心電図と脳波測定及びレントゲン撮影等の検査が行われたが、亡照武が訴える諸症状(手指を自由に動かせない、思うように話せない、歩行が不安定である等)に対応する他覚的所見が認められなかったので、県立広島病院脳神経外科では、頭部外傷Ⅱ型、過換気症候群(心因性疾患の一種)と診断した。

(三)  亡照武は、昭和五八年七月一日、県立広島病院を退院し、同病院の紹介を受けて、マッターホルン整形外科病院に同月五日から昭和五九年二月二七日まで入院した(二三八日間)。

マッターホルン整形外科病院において、上・下肢の痙攣や握力低下は認められたものの、同病院からの検査依頼に基づいてなされた第二中川病院での頭部CTスキャン(コンピューター断層撮影)、頭部レントゲン撮影、脳波測定等の検査では、著明な異常所見は認められなかったため、マッターホルン整形外科病院では、頭部外傷、外傷性頸椎症と診断した。

しかし、亡照武は、依然として、言語障害、歩行困難、呼吸困難、頸部全方向運動障害、思考力低下、手指の不自由等の症状を訴え、食事中の時などには、右手で箸が使えなくなって、左手で持つようになり、更には箸自体を持てなくなり、左手でスプーンを使って食事するような状態であった。

亡照武は、マッターホルン整形外科病院において、自己の症状が回復に向かうどころか、徐々に増悪していくことに焦燥感を抱き、転医して治療を受けることを希望し、昭和五九年二月二七日、同病院を退院した(なお、退院後の通院実日数一日間)。

(四)  右退院後、亡照武は、自宅近くの戸坂外科、広島市民病院、県立広島病院に通院し(通院実日数は、戸坂外科が一日間、広島市民病院が二日間、県立広島病院一日間)、その後平松整形外科病院に昭和五九年三月一〇日から同年八月二五日まで入院した(一六九日間)。

同病院において、亡照武は、頭部外傷(陥没骨折)、外傷性頸髄症、四肢不全麻痺と診断され、レントゲン撮影等の検査が行われたが、格別の他覚的異常は認められず、亡照武の訴える諸症状を解消する有効な治療方法が見出されないままに、その容態はほぼ横這い状態で経緯した。

亡照武は、同年八月二五日、状態が幾分良くなったので、平松整形外科病院を退院し、以後通院を続けることにした(再入院するまでの通院実日数は八六日間)。

(五)  亡照武は、右退院後約二か月間は原告方で同居し、その後一人自分のアパートで暮らすようになり、この間、平松整形外科病院に通院する傍ら、原告の経営する喫茶店や、亡照武の兄である訴外春山照世(以下、「照世」という)の経営する家電機具販売店の手伝いを試みたが、手足に力が入らず、又言葉が思うように話せないことから、ほとんど手伝いにはならなかった。

(六)  昭和六〇年七月二七日、亡照武は広島市民病院脳神経外科でCTスキャン(コンピューター断層撮影)、レントゲン撮影等の検査を受けたが(通院実日数一日間)、他覚的異常所見は認められず、担当医師は外傷性ノイローゼと診断し、同病院の精神科で治療を受けるよう亡照武に指示した。

亡照武は、右医師の紹介によって同病院の精神科に同年八月七日から同年一〇月一七日まで通院した(通院実日数五日間)。右精神科医師の診断は、外傷性神経症であり、睡眠薬や精神安定剤の投薬による治療がなされた。

(七)  亡照武は、昭和六〇年八月二九日、平松整形外科病院を訪れて諸症状の増悪を訴え、担当医師である訴外平松恵一医師(以下、「平松医師」という)も神経症状が増強しているものと認め、同年九月一四日まで再入院するところとなった(一七日間)。

平松整形外科病院において、亡照武の訴える言語障害、歩行困難、四肢不全麻痺、頸椎運動障害等の症状を緩和するため、ビタミン剤・機能循環剤の投与等の対症療法及びリハビリ訓練を行ったところ、言語障害の症状にやや好転が見られ、亡照武は、右のとおり同年九月一日に退院した。

(八)  その後も、亡照武が平松整形外科病院に通院して治療が継続されたが、症状にほとんど変化が認められなかったため、同年一〇月九日、右症状が固定したものと診断され、同日をもって同病院の治療は打ち切られ(通院実日数一三日間)、亡照武は、同月二二日、自殺するに至った(なお、亡照武が同日自殺するに至ったことは当事者間に争いがない)。

(九)  なお、亡照武は、事故後自殺するまでの間、治療に関し母親や兄・姉に直接相談したり、不安を訴えたりすることはあまりなかったが、友人である訴外日浦久敬に対しては、「医者も信用してくれず、家の者には横着者と言われる」、「誰も自分のことを判ってくれない」などと悩みを訴えており、原告の遺留品である手帳には、昭和六〇年八月一八日の欄に「今日はちょっと気分がいい。しかし、不安だ」と記載されていた。

2  以上の事実を前提とすると、亡照武は、本件事故により、頭部外傷Ⅱ型(頭蓋骨陥没骨折)、外傷性頸髄症の傷害を受け(もっとも、外傷性頸髄症については、レントゲン撮影等の検査では異常所見が認められず、又前掲各証拠によれば亡照武の訴える上下肢の機能障害に左右差の認められることからすると、全く疑問がないわけではないが、頭蓋骨陥没骨折により意識不明となり、すぐに意識が回復したものの、松石整形外科病院に入院当初は意識を失う状態も見られるなど受傷の程度は重大であったこと、亡照武は平松整形外科病院に入院当初から機能障害の諸症状である手指を自由に動かせない、思いどおりに言葉を話せないなどの症状を訴えていたことに照らし、右頸髄症の存在を否定することはできない。平松整形外科病院の担当医師である証人平松恵一も、頸髄損傷の場合、造影剤注入によるレントゲン撮影で異常所見の現れないこともあり、亡照武についても、レントゲン撮影検査で異常所見が認められないことから直ちに外傷性頸髄症を否定することはできないし、亡照武の症状である四肢の運動障害等の経緯から、外傷性頸髄症と診断した旨供述している)、外傷性頸髄症による四肢の運動障害等の症状が十分改善されないことによる焦燥感及び医師に対する不信感等から外傷性神経症を引き起こし、長期にわたる治療経緯もあいまって、亡照武が自殺するに至った昭和六〇年一〇月二二日頃には、右症状が完全に固定したものと認めるのが相当である。

三  本件事故と亡照武の自殺との因果関係

前記二に認定の事実を総合して考えてみるに、亡照武は、本件事故により頭部外傷Ⅱ型(頭蓋骨陥没骨折)、外傷性頸髄症の傷害を受け、右頸髄症による症状が十分改善されないことによる焦燥感や医師に対する不信感等から外傷性神経症を併発し、担当医師により右症状が固定したものと診断されたこともあって将来に対し不安感を強く抱き、精神的に極めて不安定な状態にあったことは想像するに難くなく、外傷性神経症に罹患していたことも手伝い、発作的に自殺したものと推認することができる。

そうすると、亡照武の自殺は、本件事故による受傷を主たる原因として生じたものであるというべきであり、言語障害、四肢の運動障害等の症状が外傷性神経症の影響もあって、かなり重いものとなっていたところ、一般に、交通事故による傷害により約二年半に及ぶ治療を続けたが、完治せず、重い症状が残存した場合、これが原因となって将来を悲観し、生きる自信を喪失して自らの命を絶つということも、社会通念上予見不可能な事態とはいえないから、亡照武の自殺と本件事故との間には、相当因果関係があるものと解するのが相当である。

もっとも、自殺は本人の自由意思による死の選択という一面も否定できず、本件事故が必然的にもたらした死ということもできないから、このような場合、自殺による損害のすべてを加害者に負担させることは、損害の公平な分担という見地からみて相当でないから、民法七二二条所定の過失相殺の法理を類推適用し、自殺に対する亡照武の自由意思の関与の程度を斟酌して、加害者である被告の賠償すべき損害額を減額するのが相当である。そして、前記認定にかかる事実を総合勘案すれば、亡照武の死亡による損害については、その五割を減額するのが相当である。

四  責任原因

被告が甲車を運転し、進行方向右側路外の空き地に出るため右折するに際し、対向車両の有無を十分に確認せずに進行した過失のあることは、当事者間に争いがないから、被告は、民法七〇九条による責任を免れない。

五  損害

1  亡照武の損害と原告の相続

(一)  入院雑費 四四万九〇〇〇円

亡照武が本件事故により合計四四九日間入院したことは前記二1に認定のとおりであるところ、経験則上、亡照武がその間少なくとも一日当たり一〇〇〇円の割合による合計四四万九〇〇〇円の入院雑費を要したものと推認するのが相当であり、右は本件事故と相当因果関係のある損害と認める。

(二)  通院交通費 三二万四〇〇〇円

亡照武が本件事故により実日数合計一一一日間通院したことは前記二1に認定のとおりであるが(松石整形外科病院一日間、戸坂外科一日間、県立広島病院一日間、広島市民病院八日間、マッターホルン整形外科病院一日間、平松整形外科病院九九日間)、前記認定の亡照武の傷害の部位・程度、諸症状等によれば、通院に際してタクシーを利用することをもやむを得なかったものというべきところ、《証拠省略》によれば、県立広島病院、広島市民病院及び平松整形外科病院の場合(合計一〇八日間)、一日の通院に要する往復のタクシー代は三〇〇〇円を下らないものと認められるから、右三二万四〇〇〇円は本件事故と相当因果関係のある損害と認める。

(三)  逸失利益

(1) 休業損害 四八一万六〇〇〇円

《証拠省略》によれば、亡照武は、本件事故当時、姉である訴外春山照子の経営するスタンド「サークル」を手伝い、一か月一六万八〇〇〇円の収入を取得し、これをもって自己の生計を維持していたこと、本件事故日である昭和五八年六月二日から自殺する前日の昭和六〇年一〇月二一日までの二年四か月と二〇日間働いていないことが認められるところ、前記認定にかかる亡照武の傷害の部位・程度、諸症状、治療経過等を考えると、右休業は誠にやむを得なかったものというべきであり、亡照武の休業損害は、次の計算のとおり、四八一万六〇〇〇円となる。

168,000×28+168,000÷30×20=4,816,000

(2) 死亡による将来の逸失利益 三二〇九万四八九一円

亡照武は本件事故当時二六歳(昭和三一年八月二八日生)の健康な独身男性であったから、本件事故に遭遇しなければ、死亡時(二九歳)から三八年間は稼働することができたものというべきところ、《証拠省略》によれば、亡照武のスタンド「サークル」における就労は、他の職が見つかるまでのアルバイト的なものと認められるから、将来より高い収入を得られる蓋然性を否定できないものというべく、三八年間平均して昭和五八年賃金センサス第一巻第一表企業規模計・産業計・学歴計男子当働者(二五ないし二九歳)の年収額三〇六万一〇〇〇円を下らない収入を取得できたものと解するのが相当である。

ところで、経験則に照らし、亡照武の生活費は平均して収入額の五〇パーセントとみるのが相当であるから、生活費を控除したうえ、亡照武の死亡による逸失利益を年別のホフマン方式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、次の計算のとおり、三二〇九万四八九一円となる(円未満切捨て。以下同じ)。

3,061,000×(1-0.5)×20.9702=32,094,891

(四)  慰謝料

前記認定にかかる亡照武の傷害の部位・程度、諸症状、約二年五か月に及ぶ治療経過、自殺に至る経緯、年齢その他諸般の事情を勘案すると、亡照武の慰謝料は、傷害及び死亡それぞれにつき、次のとおり認めるのが相当である。

(1) 傷害慰謝料 三〇〇万円

(2) 死亡慰謝料 一五〇〇万円

(五)  過失相殺の法理の類推適用による減額

亡照武の死亡による損害については、過失相殺の法理の類推適用により、五割の減額をするのが相当であることは、前記説示のとおりであるから、右認定の(三)(2)(死亡による逸失利益三二〇九万四八九一円)及び(四)(2)(死亡慰謝料一五〇〇万円)から五割を減額すると、次の計算のとおり、二三五四万七四四五円となる。

32,094,891×(1-0.5)+15,000,000×(1-0.5)=23,547,445

したがって、亡照武の総損害額は、三二一三万六四四五円となる。

(六)  原告の相続

《証拠省略》によれば、原告は亡照武の母親であり、唯一の相続人であることが認められる。

2  原告固有の慰謝料

前記認定にかかる諸般の事情を考慮すると、亡照武が死亡したことによる原告固有の慰謝料としては、二〇〇万円とするのが相当であるところ、前記1(五)と同様、亡照武の死亡による損害については五割の減額をするのが相当であるから、右慰謝料額は一〇〇万円となる。

3  よって、原告が賠償を請求し得る額は、三三一三万六四四五円となる。

六  過失相殺

当事者間に争いがない前記一及び四の事実に、《証拠省略》を総合すれば、次の事実を認めることができ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

1  被告は、甲車を運転して国道三一号線を海田方面から呉市方面に向けて進行中、本件事故現場付近において、進行方向右側路外の空き地に出るため一旦停止した後、右折の方向指示器を点滅させ、時速約一〇キロメートルで右折を開始したが、反対方向から対向車線を直進してきた車に気を取られ、同じく対向直進してきた亡照武運転の原付の発見が遅れ、左前方約九・四メートルに接近して初めて原付を発見し、急ブレーキをかけたが間に合わず、甲車左前部を原付に衝突させた。

2  一方、亡照武は、原付を運転して呉市方面から海田方面に向けて時速約三〇キロメートルで進行中、本件事故現場手前約三〇メートル付近において、原付の右後方から車両が同じ方向に進行してきたので、道路左端によって進行しようと考え、左後方の安全を確認すべく、左後方に顔を向けて走行したため、前方注視がおろそかになり、本件事故が発生したが、亡照武には衝突時の記憶がなく、病院で初めて意識を回復したものである。

右の事実によれば、亡照武にも前方不注視の過失が認められるところ、その他諸般事情を総合すると、過失相殺として原告の前記損害額の二割を減ずるのが相当である。

そうすると、原告が被告に対し本訴において賠償を請求し得る額は、次の計算のとおり、二六五〇万九一五六円となる。

33,136,445×(1-0.2)=26,509,156

七  損害の填補

1  原告が被告代理人の保険会社から本件事故による損害の填補として五一四万二一二〇円の支払を受けたことは、当事者間に争いがない。

2  原告が右金員以外に被告代理人の保険会社から治療費三九七万五八七〇円の支払を受けたことも当事者間に争いがないが、本来右治療費も含めた全損害につき過失相殺されるべきところ、右金額に対する亡照武の過失割合分は、治療費として過払されたことになるから、右過払分を損害の填補として減額するのが相当であり、その額は、次の計算のとおり、七九万五一七四円となる。

3,975,870×(1-0.8)=795,174

3  したがって、過失相殺後の原告の前記損害額から右填補分合計五九三万七二九四円を差し引くと、残損害額は、二〇五七万一八六二円となる。

八  弁護士費用 二〇〇万円

本件事案の内容、審理経過、認容額その他諸般の事情を勘案すれば、原告が本件事故と相当因果関係があるものとして被告に対し賠償を求め得る弁護士費用の額は、二〇〇万円をもって相当と認める。

九  結論

してみると、原告の被告に対する本訴請求は、二二五七万一八六二円及びこれに対する不法行為後の昭和六二年二月一八日から支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 内藤紘二)

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